2019/07/14Dearファッション#4:【ブランド物ってコスパが悪い?】真にコスパの良い浪費とは。

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智朗手塚

手塚智朗早稲田大学商学部4年

1997年7月17日 北海道出身 早稲田大学商学部。中学時代、バスケ部の部長として“孤立”をした経験から「個の価値観」について興味を持つ。主に人材×ITの領域で就職活動を行っていた。現在は「面白い男になる」という生き方の軸を追い求め休学を決意。3人の友人の協力のもと早稲田特化型メディア『わせディア』を立ち上げる。中学生時代から約10年のヒップホップ愛聴家。

ファッション好き大学生が語る

度々お邪魔をします。手塚です。
今回はエイトクロスからの提供記事です。

本メディアのフロントエンド・バックエンドすべてを担当してくれている謎多き大学生。表舞台には現れませんが彼も無類のファッション好きです。メディアMTGで対面した際には毎回驚かされるばかりです。
そんな彼が一肌脱いだファッションコラム。
こんな早稲田生に価値を提供できるかなと思っています。


・To whom?
「飲み会に旅行で、バイト漬け!服になんて金を使ってられない!」
・Message
「中長期的に“コスパが良い”のはどっちか。そして自己の亢進作用、ひいてはその先の世界にまで視点を広げると...」


それでは、いってらっしゃい。

ブランド物はコスパ悪い?

昨今、高級志向なハイブランドよりもプチプラのようなコスパを追求する事がファッションのトレンドになってきている。ZaraやH&Mなどのファストファッションが若者の間で流行している事をから、これは明らかだろう。
では、ブランド物は只の贅沢品でコスパが悪いのだろうか?そんな疑問に関してファッション好きの私の考えを書いていきたいと思います。

そもそもコスパってなんだろう?

とにかく安いもの = コスパ。こんな考えが世の中には蔓延っていると私は思う。しかし、コスパとはそのような考えではないだろう。たとえば、1万円だけど1年間で壊れてしまう安い時計よりも、50万円だけど一生使えて、30万円で売却できるような時計、どちらがコスパが良いのだろうか。圧倒的に後者だろう。毎年安い時計を買い換えていたら50年間で50万円かかってしまう。しかし、高い時計を50年間使った後に売却すれば、20万。1年あたり4000円と、実に6割もお得なのだ。
これは別に時計に限った話ではない。洋服に関しても言える事だと思う。たとえば、私は10万を超えるデニムを3本所有しているが、3年以上も大切にずっと履いている。合計で30万ほどの出費だったが、10年はくと考えると1本あたり1年間で1万円。毎年、そこそこのデニムを買い換えるより安上がりなのである。

ただし、ファストファッションも否定はしきれない

「インスタ映え」なんて言葉が存在してるように、私のような若者世代は皆、流行に敏感で常に最先端のものをSNS上でアップしたがる。特にファッションのブームが移り変わるのはかなりのハイペースだなと感じる。毎年トレンドを追いかけ、常に流行りの服に身を包みたい人にとっては1着1着が高価なハイブランドの服はコスパが悪いのだろう。安かろう悪かろうで、流行を追いかけ早いサイクルで服を消費する事にはファストファッションは最適なのだ。
また、私のような学生に常に付きまとうのは「金欠」という避けようもない悲しい現実である。時給千円で働いて、1ヶ月に5万〜10万の収入。とてもじゃないけど、高い服なんて買えない。やはり学生にとってはファストファッションの存在は無くてはならないのである。

高い服を長く大切に着るという選択肢

ただ、そんな現状にあっても私は、「良質な服を長く大切に着る」そんな思いを大切にしていきたい。安いからといってすぐに飽きて、新しい服に飛びつく。そんな消費のスパイラルは不毛であると感じる。流行のファッションを追いかける事はには終わりはない。だからこそ無限に消費の終着点は来ないのである。ファストファッションに依存すればするほど、逆に出費が増えていくのだ。良質な服は高い分、耐久性が段違いであるから、1着で満足ができる。もちろん中には、ブランド料だけであまり質の良くない製品を販売しているブランドも存在しているが、しっかりと目利きができればハズレを引く事もないだろう。

消費社会と浪費社会

ところで、皆さんは「消費」と「浪費 」の違いを説明できるだろうか?フランスの哲学者のジャン・ボードリヤールは以下のように説明している。


消費とは止まらないものである。なぜなら、ものを受け取っていないからだ。消費行動において、人はものを受け取らない、人が消費行動において受け取るのは希望、あるいは観念や意味である。これに対して、浪費の特徴は「それがある程度のところで止まるところにある」と言っている。必要以上にものを受け取ったりすることは、総じて浪費である。しかし、腹十二分目に食べたり豪勢な食事ができたとしても、いずれ限界が来る。そしてそこには「あー、美味しかった」という満足がある。すなわち、浪費は満足をもたらす時点を迎えるとそこで止まってしまうのである。


物の価値が記号化された現代社会において、ブランドは消費の対象である。だからこそ、服を記号ではなく、質という観点から見つめなおす事で何処かで満足を迎えるような浪費に変えていかなければ、延々と無駄な出費が続いてしまうのである。

そもそも、デニムが1980円で買えるのがおかしい

デニムを作るのには、生地の生産から縫製と実に様々な工程を挟む。当然、そのプロセスの中には多くの労働者が存在している。私たちが安い金額で、ファッションという記号を消費することを楽しんでいる裏側で、労働者が泣いている。誰かの犠牲の上に成り立つ消費は全くもってサステナブルではない。私は、他の服を着ることを諦めてでも質の良い服を大切に着たい。それこそエコで、エシカルで、最高にコスパのよい生き方なのではないだろうか。

終わりに

私は全く、ファストファッションを否定する気は無いし、顔を真っ赤にして批判する気などは毛頭無い。しかし、「コスパ」の本質が何処にあるのかを今一度再考し、消費を浪費に変えていくことで皆さんの生活がより「コスパが良い」状態になるのではないかと思う。 この記事を読んで、少しでもそこを意識してもらえたら、ファッション好きの私としてはほんの少しだけ嬉しい。

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