2019/07/22【早大生視点】“闇営業”から考える、キャリア観

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蒼士小金沢

小金沢蒼士早稲田大学文学部

1997年、群馬県で生を受ける。興味の範囲は様々、エログロから哲学まで。スポーツの話は唯一できません。タバコが三度の飯より好き。卒業後の夢はフリーランス。とりあえず人材業界にいきます。1997年 群馬県富岡市で生まれる 富岡市立妙義小学校→富岡市立妙義中学校→群馬県立高崎高等学校→早稲田大学 文学部 文学科

今回の「闇営業」騒動から、とある早稲田生が思うこと

はじめに、、

ことわりを入れておきたい。この記事で僕は誰の擁護をしたいわけでもなく、また誰の批判をしたいわけでもない。ただ、ここから僕なりに、わせディアというメディアとして伝えたいことがあるから記事にさせていただこうと思っている。ざっくり言ってしまえば、「誰かの心を大きく動かす」ことがわせディアの至上命題だ。おそらく誰もが耳にしているであろうこの騒動と紐づけて、皆さんの心を本気で揺さぶるような記事が書けると思い、いまこうやって文字に起こさせていただいている次第である。ただ、その思いだけがこの記事にあることを、最初に伝えておこうと思う。

つい先ほど、騒動の中心であるとある二人の芸能人の会見の様子をYouTubeにて見ていた。葛藤、悲しみ、悔しさ…様々な情念が複雑に入り混じった会見であったと僕は思う。ただ、そういった話はいったん脇に置いておきたい。そこでどちらかに肩入れをして糾弾するなり応援するなりということはSNSで勝手にやればいい。
この異質なメディアだからこそ、伝えるべきことを僕は綴ろうと思う。

本質的なことを話そうか

事の次第についてはここでは省かせていただく。本当に大切なことをこの騒動は教えてくれていると思った。
どういうことかというと、僕たちがこれから羽ばたくであろういわゆる一般的な社会とは、ああいった事象を起こしてしまうであろうシステムを組み込んで成り立っているということだ。芸能界だから、という話ではなく、あの騒動の原因を突き詰めたら、私たちの社会構造に行き当たるように、僕には思えたのだ。
会見を見たうえであの問題の本質を一言で表現するなら、
「経済と倫理との間で」といえるだろう。芸能事務所サイドは会社の利益のために全力を尽くしたと思う。会社の屋台骨を支えるような人物にいなくなられてはたまったものではないし、会社を経営する以上、誰かひとりに対してではなく、会社に対してコミットしている人全員に責任がある。その点を踏まえると、「静観」という判断、あるいは「うやむやにする」という判断は間違いと言い切るのは難しい気がする。
一方、事の中心人物である二人は、人として正しくあろうとした。人として間違いを犯した以上は、何かしらの形で責任を負わねばならない。人として本当に大事な部分を彼らは守ろうとしたのだ。富を得てもなお、その判断を間違えない彼らは尊敬に値すると思う。

他人事ではない

社会で個人として生きる選択をしたら、誰しもがこの問題に行き当たるリスクを背負ってしまうのではないだろうか。経済的な活動に従事できることは、生きていくうえでの必須条件だ(もちろん何らかの事情で従事することが難しいということはあるかもしれないが)。金がなくては、何もできない。趣味を楽しむことも、自分の飯を用意することも、大切な人を守ることもできない。経済的な理由が、誰かの幸せ、あるいは自分の生命に直結する瞬間はだれしもに訪れるかもしれないのだ。そうなったら、四の五の言ってはいられない。ただ、金を稼ぐのみである。そこでは、生きるために、本当に大事なものに背を向けるという矛盾を抱える可能性は多分にあるのである。
「そこまで考えねーよ普通」と思うかもしれない。確かに、普通に生きていればそんなことは考えないだろう。でも、あるきっかけで今の社会システムの重大な矛盾に気づいたとき、あるいはその矛盾が僕たちに牙をむいたとき、僕たちはこの世界に立っていることができるだろうか。

歪な世界でどう生きるか

実に歪な世界だなと思ってしまった。経済的理由からくる責任を果たそうとすることと、正しい倫理観は時としてぶつかり合ってしまうかもしれないのだ。

でも、僕らはその世界の直前のモラトリアムを過ごしているわけである。こんな世界でどう生きるのが本当に自分にとって幸せなのかを考えるのは難しい。そんな僕たちは、幸せのためのツールを多く持っていなければならない。
大学という場所は、そのツールを多く与えてくれる。その点をもう一度、自分の中で考えてくれればと思う。

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