2019/08/12『世界は恋だと言ったって』-06-前半

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輝大月

大月輝文化構想学部4年

文化構想学部4年生。大学では、主に文学をはじめとする文化全般と、英語に主軸を置いて勉強している。一昔前の洋楽ポップスみたいな明るさも好きだけど、無頼派みたいな厭世観もたまらない。

-06-前半

 またやっちゃった。

 月曜日、ナナの声で目が覚めた。昨日、ボディケアまで完璧にこなしたであろう形跡を洗面所に残したままだったナナは、さっさと寝床に就いていた。おれが帰ってきたのは午前一時すぎだった。大きすぎる独り言を呟いていた覚えはある。ナナの名前を呼んでいた気がするけど、それでも彼女を起こさずに済んだのは運が良かった。午前二時頃、ナナを乗り越えてベッドにダイブしたおれは、目覚ましもかけずに眠りこけた。

 慌てて身体を起こす。今何時? 焦ったおれの声に、ナナは笑った。まだ八時だよ、ネボスケ。朝ごはんはできてるよ。

 ナナは顎に手を当てて、ううんと唸った。私、昨日熱くなって全部思ってること言っちゃった。あれが英語だったらなあ、とナナは悔しそうに言う。こんな気持ちにもならないで済んだのに。ナナは顔をぱっと上げて、ねえ、女が男を論破するために男言葉を使ったのは、やっぱり、構造的に負けた?

 おれは伸びをして、だるだるになったスウェットのズボンの腰を引っ張り上げた。

 朝ごはん食べたい。ナナの頭を軽く撫でて、おれは部屋を出た。そんなこと、どうでもよかった。あの場所は、男と女の対立じゃなくて、恋愛と友情の対立で、ナナはその枠組みを歪めてくれた、それだけ十分なのに。

 カップを二つ出してコーヒーを淹れると、バウムクーヘン好きだっけ? と聞いた。遅れてリビングに来たナナは、ウエストが括れた、丈の長い水色のワンピースに着替えていた。首にスカーフを巻いている。いつの間に、と驚くおれに、今はダイエット中だから、お菓子は食べないの、と澄まして答える。

 コーヒーカップに口をつけて、ナナは一瞬黙り込んだ。それから、ちらっとおれを見た。お礼のつもりなら、放課後にショッピングに付き合って。お互い今日は、二限と三限の二コマで終わる。新宿か池袋でいいか、と言うと、ナナは嬉しそうに頷いた。

 でも、電車に乗ることになるんだぞ。それでいいのか? ナナの顔から感情が消えて、唇を噛む。わかんない、と弱々しい声で呟くナナの姿に、おれは言葉を詰まらせた。どうしよう、とおれの方が狼狽える。おれはいつでも一緒に行くし、一人で帰ることなんて勿論しないけど、ここら辺にもショッピングできる場所はあるだろ。おれの言葉に、ナナはしばらく逡巡した後、行く、と小さいけれどはっきりした声で断言した。

 長い睫毛で覆われた瞳が、雄弁にナナの気持ちを語っていた。わかった、じゃあ行こうな。コーヒーを飲むふりをして、揺らぐナナの瞳から目を逸らした。机の下で拳を握りしめた時、爪が手のひらに食い込んだ。

 朝ごはんを食べているおれの前で、ナナはばさばさとファッション雑誌を広げ、洋服を丹念にチェックし始めた。気に入ったものがあれば、携帯で写真を撮る。ノンノ、スウィート、キャンキャン、美人百花など、普段はナナが読まないような雑誌ばかりだった。ナナが意見を求めてきた時だけ、コメントした。

 九時半ごろ、もう行かなくちゃ、とナナは化粧を始め、パソコンとノート一式を鞄に詰めた。小テストも終わってない課題もないけど、図書館に行きたいの。ナナはタンブラーにコーヒーを注ぐと、悠人も遅れないでよ、とまだスウェット姿でだるだるしているおれに手を振って、慌ただしくリビングを出ていった。

 おれは自分の分の食器を洗い、パーカーにスキニージーンズを合わせて、少しだけ髪をセットした。リビングの机に投げられた雑誌をちらりと見ると、「女の子モテも男の子モテも叶えるコーデ特集」とか、「今年の冬は絶対可愛いって言わせる大作戦」とかいった文句が並べられた表紙ばかりで、圧巻だった。

 おれはパーカーを脱いで、着替え直すことにした。シャツの上にセーターを着て、裏地にもこもこの素材がついているジーンズジャケットを羽織った。なんだか突然、もうパーカーでジーンズ、という格好で大学には行けないような気分になる。リュックにパソコンだけを入れて、家を出た。途中で、マックでカフェラテを買ってから、授業の教室に向かう。今週は、日本文学を社会的コンテクスト無しで読めるだろうか。多分無理だろうな、とため息をついた。


 四時半ごろ、正門の前でナナと待ち合わせをした。時間ぴったりに、ナナが駆け寄って来た。今日はみっちり一緒に回ってもらうからね、と言い放つ。ナナは携帯の画面を見せて、新宿だと新宿ミロードに行こうかと思ってたんだけど、想像してたよりも行きたいお店がなかったから、池袋のパルコに行きたい、と力説する。おれは軽く両手を上げてお好きなように、と笑った。今日はナナが満足するまで買い物をするのが目的なんだから、どこだって付いていきますよ。荷物番も、お任せください。

 駅が近づくにつれて、不安げな表情になるナナに腕を差し出した。ナナは頷いておれの肘を取る。ホームで真っ青になるナナに、行けるのか? と聞いた。おれが言えることじゃないけど、まだ怖いんだったらやめてもいいんだ。ううん、というナナの声がおれに被さった。一人で乗れないだけ、だと思うから、多分大丈夫。悠人がいてくれれば、大丈夫だから。ナナのかすれ声を聞いて、無理やりにでも帰ろうかと思ったけれど、「電車に乗ったら、私の背中に腕を回して、囲ってて」と目を見て言われたから、断念する。

 電車に乗り込む時、ナナの身体は震えていた。お姫様かお嬢様のエスコートをするくらいの気持ちでナナの要望に従った。なるべくおれの身体でナナが隠れるようにして、ドアにナナの背中がくるようにする。これでおれが前に立てば大丈夫だろうと思う。

 確認すると、ナナはこくこく頷いておれのコートに捕まった。隣に人が立っても手出しできないように、手をナナの左側に付く。ナナの表情は依然として暗いままだった。人はどんどん増えてくる。おれは右手はそのまま、左手でコートのポケットを探してイヤホンと携帯を取り出した。暇だし、音楽でも聴こうぜ。音楽アプリで八〇年代のロックのプレイリストを流す。あ、これいい、とクイーンの曲に少しだけ笑顔になるナナに、ほっとした。

 二十分もかからないで、池袋に着く。他の大勢と一緒に電車から吐き出されて、押し流されて改札口に向かう。腕はナナの身体に回したままにしておいた。人が分散したころを見計らって、そっと腕をどけると、ナナは息を吐いた。ありがとう、と困ったような笑顔で言われてたじろぐ。お礼なんていらないからというおれに、ナナはそれでもだよ、とおれの肘に捕まった。

 東口に向かいパルコに入って、ナナはまず本館の地下二階に向かった。パルコでこんなに本気を出してショッピングするのは初めて。ナナがショップリストを見て、最初に向かったのは、花柄のスカートや首元に細いリボンのついたブラウスみたいな、甘くて可愛いタイプの洋服が揃っているお店だった。

 わあ、と声を漏らしたナナの表情は強張っていたけれど、目には自分が触れてこなかった洋服への憧れが溢れていた。遠慮がちにコートに触れたり、鏡の前でスカートを合わせてみたりしている。試着してみたら? とおれは白いブラウスを取り上げた。これなんか、六〇年代のロマンティック・ルックにもなるし、ナナの好みなんじゃない? 

 ブリジット・バルドーみたいな? ナナがにやっと口の端を上げた。おれは自分の目尻に指を当てて、架空の線を引いた。真っ黒なアイラインとシャドウがあればね。

 ナナは大人しくおれからブラウスを受け取ると、それに似合いそうなスカートを探し始めた。

 でもね、今日はいつものテイストから離れてみようと思うんだ、とナナはおれを見上げて言う。似合ってなかったら教えてよね。

 ナナはレースがあしらわれている、ふんわりした黒いスカートと、胸の部分に大きいリボンが付いている上下で切り替えが入っているピンクと黒のワンピースを取り上げて、試着室に向かった。

 どこを見ていいのか分からず、ちらちらと洋服に視線を向けてはSNSのフィードに目を通す、ということを繰り返した。

 ナナがおれを呼ぶ声を聞いて、すぐに携帯から目を離した。ナナは、最初にブラウスとスカートのコーディネートを見せた。普段ナナが着ている洋服と何がどう違うのか、おれは的確には言えなかったけど、ちょっとした新鮮さを感じた。どうかな、と言うので、おれはいいと思う、と返した。それでも、ナナの不安そうな表情は晴れない。何か間違えた? おれは焦った。しかたがないので、正直に伝える。

 正直、ブラウスとレースのスカートって、ロマンティック・ルックみたいになると思ってたんだけど、服の素材が違うのか何が違うのか、ちゃんと別のファッションになってるよ。

 おれの言葉を噛みしめるように聞いていたナナは、そうだよね、と神妙な顔で頷いた。今度は、ワンピースを着てみる。

 今度はそこまで待たずに(ていうか、さっきもそんなに待ってないはずなんだけど、おれがここまで女の子らしいお店に不慣れなせいで、時間を上手く潰せなかっただけなんだと思う)、ナナはすぐにカーテンを開けた。

 どう? まだ微妙に慣れないといった表情は拭えないまま、ナナはおれの目を見た。ナナのテイストじゃないとはっきり言った後、でも、それが似合わないわけじゃないとも言った。

 お互い、違和感を感じているのは明確だった。ただ、それに慣れたいと思うのだったら、これからそういう服を着ていけばいい。ナナは考え込んで鏡の中の自分の姿を見つめた。肩幅が、とか、脚の太さが、とか一人で批評している。もぞもぞと肩のあたりが動く。ナナはおれの方に向き直ると、着替えるね、とカーテンを閉めた。

 ナナがいつもの洋服に戻ると、少しだけほっとした。ナナも身のこなしを思い出したみたいに自然な態度で服を棚に戻した。とりあえず、他のお店も見てみる。ありがとうございました、という店員さんの声に送られてお店を出た。

 今のが甘いテイストだったら、次は辛いテイストだ。姉系っていうんだよね、とナナが言ったお店には、さっきのお店とは反対に、ダークカラーの洋服が並んでいる。アニマル柄はお手の物、セクシーに決まるタイトな格好は私たちの十八番です、と言わんばかりのかっこよさが羨ましかった。こっちの方がナナには似合うんじゃないか? 格子柄のスカートを眺めているナナに言うと、やっぱり? と苦笑された。

 本当は、恋する女の子です! みたいな、可愛くて甘くてふわっと溶けちゃいそうな洋服を着てみたかったんだけどな。

 ここでも洋服は買わなかった。結局、ナナはメイクのお店でリップとチークとシャドウを買い、満足したようだった。

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